うーむ

ワダツミの木が流れてきた

今日の仕事はいつもよりは遠出の納品、道は空いてる

 

とてもかっこいい曲と思っていたのでランダムでかかったときは嬉しい

バラードではないと思うけど、アップテンポではない

曲の入りはとても音数が少ない、なのにグルーヴがある〜云々

と前は思っていたのだけど今回聞いたときは歌に聞き入ってしまった

 

力強いんだけど儚いというか、これデビュー曲かよって思うような迫力があった

音数が極端に少ないってこの声を最大限に生かすためだったのかーって初めてわかった

そりゃあ絶賛されてデビューするよなぁ、こんな歌声

この曲は他の誰にも歌えない歌で、元ちとせのために作られた歌なんだなあと理解できた

 

こういう唯一無二を持っている人ってのはたまに見かけるけど、どうやってそれは作られたのかという事に興味がある

技術に関してはどんなジャンルであれ師匠がいればある程度修めることはできると思う

実際にやっているところを見るというのはとても大きな経験だと考える

そのとき、同じ師匠についた弟子が数人いたとして、数年後の技術の習熟度の『差』こそが唯一無二への道なのかと考えるようになった

ただ習熟度を上げる事こそが唯一無二への道ではなくて習熟度が上がらない事こそが唯一無二への道かもしれないと

なぜ上がらないのか、何を課題としているのか、

上手くなる人は上手くなる事が上手いのかもしれないというように

 

昔から自分が器用な分、下手だなあとか、不器用だなあと思う人は何人も見てきたけど、そのうちに数人はしばらくするとビックリする程の変化をする時がある

そういう人を見ると自分とは全く違う壁を登っていたんだなあと思った

壁の大きさとか登りづらさとかではなくて頂上自体が違っていたというような感覚

 

頂上の設定が違うということは、見ているものが違うということかと思う

ということはその人が今まで見てきた感じてきたことで頂上を探していくのか

それがセンスなのか、そうならば良いも悪いも無くて、その分野に於いてのその人自身のスタンスが現れるということか

ということは、表現するということはどこまで掘り下げても自分を包み隠さずさらけ出すことだ

自分が感じたことや、悩んでることや、課題にしていることや、できないことまでさらけ出してこその表現するということ

かな、プロフェッショナルはまた別のベクトルかな

うーむ